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工藤がいた土浦日大との延長16回も見た記憶がある。そして鹿実との準々決勝も見た。この試合で定岡のことを知った。鹿実のことはよく知らなかったので、東海大相模が勝つだろうと思っていたら、試合は延長へ。強力打線のはずの相模が定岡を打てない。結果は延長15回で鹿実の勝ち。定岡の投球がどんな感じだったかは忘れた(プロでのスライダー投手の印象しかない)が、ナイターになったことははっきりと覚えている。
その定岡で印象的なのは防府商との準決勝。ケガをして降板しただけでなく、最後はエラーでサヨナラ負け。二塁への牽制がセンターに転がり、センターがその球を後逸。鹿実には何とも辛い幕切れ。泣きじゃくるリリーフ投手だったかセンターだったかを笑顔で抱きしめる、手に包帯を巻いた定岡の姿が自分の脳内にあるが、そんな出来すぎのシーンが本当にあったかどうかは自信がないのだが。
ちなみにこの大会は土屋、篠塚がいた銚子商が優勝。その決勝戦も自宅で見た。銚子商があっさり勝った記憶がある。篠塚の印象(細かった)も残っているが、土屋の印象があまり記憶に残っていない。前年から見ているはずなのに、どんな投手だったかが思い出せない。完成された感じで子供の印象に残る特徴がなかったのだろうか。準優勝の防府商はエースの井神が印象的だった。今思えば防府商は初出場で決勝まで進出したわけで、その原動力は何だったのかを知りたいところである。
さらにちなみに、この大会では前橋工のサブマリン向田が印象に残っている。アンダースローから三振を取りまくっていた記憶がある。各種資料では技巧派と称されているようだが、自分の記憶の中の向田は本格派のアンダースローだったのだが。早稲田時代も記憶に残っていて、自分の中ではアンダースローといえば、片手に入る存在である。
さらにさらに、この年のセンバツは、さわやかイレブンの池田が注目を集めた。子供心に11人で準優勝とは凄い、どんな小さい学校なのかと思ったものだ。後に蔦監督の練習が厳しくて11人しか残らなかったという(真偽は定かではないが)話を聞き、背筋が寒くなったものだ。
三振を殺したのは腐女子
猛烈に嬉しい。
昨年の専松の負けも嬉しかったが、それより遥かに嬉しい。
関東の恥だ。
あんな学校は負けて当然。
今テレビの画面には泣いている土浦日大の選手たちの顔が映っている。
恥を知れ!
おまえたちには泣くほどの価値があるか?
おまえたちは泣くにふさわしいだけの努力をして来たか?
価値もない、努力もないから負けたに過ぎない。
野球は頭で行うスポーツだ。
それに相応しい頭脳がおまえたちごときにあるか?
偏差値を見ろ。
最低ではないか。
恥を知れ!
毎日新聞には次のような記述があった。
「土浦日大は茨城大会全7試合で2桁安打をマークした打線が持ち味だ。松商学園は長野大会7試合29盗塁の機動力を発揮できるか。」
今日の試合でヒットは何本だ?
たった6本しか出ていないではないか。
そんな程度で勝てるか。
井の中の蛙だ。
茨城ごときで成績が良くても全国では何ら意味などない。
しかもエラーが3回。
恥を知れ!
部員が83人。
そんなにも部員がいて甲子園で1勝もできないのか。
私の母校では後輩たちがたった15人の部員で甲子園の準決勝まで行ったぞ。
エースは一般入試で早稲田に行って、神宮でもエース。
四番バッターはプロ野球12球団全ての誘いを蹴って国立大学に行って教員。
15人でも勝てるのだ。
にもかかわらず、83人で負ける。
この差は何だ?
よく考えろ。
偏差値が高いから勝つ。
頭が悪ければ負けるのは当然だ。
他に原因はないか?
学校に問題はないか。
学校の方針は間違っていないか。
斎藤宏之くんに関する事件は何だ!
↓をよく見ろ!
ただでさえクズが多い三小。
そこでいじめが激しかった時、主犯の女の子はできたばかりのここの中学に行った。
こんな学校を受ける価値があるのか。
目を覚ませ!
ちなみに、私の故郷の代表校は勝っているぞ。
それも2桁得点で。
レベルが違う。
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「甲子園で吹奏楽応援」 急死の同級生の願い背負い完投
8/9(水) 18:23配信 朝日新聞デジタル
松商学園―土浦日大 力投する松商学園先発の青柳真=北村玲奈撮影
(9日、高校野球 松商学園12―3土浦日大)
第99回全国高校野球選手権大会第2日の9日。9年ぶりに出場を果たした松商学園(長野県松本市)を応援する阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)の一塁側アルプススタンドに、昨年1月に急死した同校の吹奏楽部員、合屋(ごうや)和輝(かずき)さん(当時16歳)の写真があった。指揮者の譜面台の上に置かれ、応援曲を奏でる仲間の吹奏楽部員たちとともに、試合を見守った。愛用のサックスは他の部員が演奏した。
和輝さんの写真が、試合を見守った=兵庫県西宮市の阪神甲子園球場
「和輝がいるようで、うれしい」。和輝さんの母、ゆかりさん(48)は、土浦日大の最終打者を青柳真珠(ましゅう)投手(3年)が、三振に仕留めると、スタンドで目頭を押さえた。
「甲子園で野球部の応援演奏をしたい」。和輝さんが、そう口にするようになったのは2年前の1年生の夏。長野大会で野球部を応援し、スタンドでアルトサックスを演奏したのがきっかけだった。帰り道の車中、ゆかりさんに「今日の試合はヤバかった」。野球部や、当時1年生ながらベンチ入りした同級生の青柳投手のことを誇らしげに話した。
「甲子園で吹きたい」。部活動に消極的だった和輝さんの姿勢が一転した。朝練のため午前6時半に家を出て、練習後、午後9時半ごろ帰宅。日々の練習が実を結び、部内のオーディションにも合格した。
ところが昨年1月17日、和輝さんは、家族と過ごして帰宅した玄関で、突然倒れ、亡くなった。心臓発作だった。
葬儀には400人以上が参列。その中に青柳投手もいた。1年生の夏、「すごいね、がんばってね」と合屋さんから声をかけられた。同じ甲子園を夢見ていたと、死後に知った。
3年になった最後の夏、青柳投手は、エースとして甲子園出場の夢をかなえた。甲子園で初練習を終え、初戦を控えた5日、和輝さんの母、ゆかりさんのツイッターに長文のダイレクトメッセージ(DM)を送った。
「必ず合屋君を甲子園に連れて行くんだという強い気持ちを常に持ち続けてやってきた」「その夢を合屋君と共に叶(かな)えることができて本当によかった」「勝ち進んでいくことで1試合でも多く合屋君に甲子園を応援させてあげたい」
初戦を完投し、2回戦進出を決めた青柳投手からは笑顔がこぼれた。
「合屋君の夢をかなえられてよかった。次の試合も応援よろしくと言いたい」(関口佳代子、大野択生)
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手首を骨折していても本塁打 前橋育英、信頼応えた4番
8/9(水) 18:59配信 朝日新聞デジタル
前橋育英―山梨学院 七回表前橋育英無死、飯島は左中間に本塁打を放つ=林敏行撮影
(9日、高校野球 前橋育英12―5山梨学院)
■前橋育英・飯島大夢
左手首の骨が折れている。テーピングを幾重にも巻き、さらにサポーターをつけてバットを握った。
前日、群馬大会の決勝以来、約2週間ぶりに打撃練習した。「緩い球で、軽く当てる程度」で約10スイング。痛みが全く消えていなくて、びっくりした。
それでも、試合になれば「4番サード」に名前がある。5月の関東大会で死球を受けてから、ほとんど練習できていないのはみんな分かっている。打つことが期待されているわけではない。「仲間からの信頼がある。そこ(4番)にいることが大事」と荒井監督。
そして、期待以上に応える。バットを短く持ち、右手で押し込むイメージで振る。一回に先制の左前適時打、三回は中前適時打。七回は左中間席まで白球を運び、「いっちゃったなあって思いました」。いかつい顔でおちゃめに言った。
次の試合は第8日(15日)。そこまではまた、ほとんど練習できない。「打てなくても、違う面でチームを引っ張る。『気持ち』とか」
監督が「男気がある。昔のガキ大将みたい」とほれ込む主将。次も「そこ」にいるだけでいい。(山口史朗)
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○皆川(前) 注目
の右腕は三振を七つ奪ったが、与四球も六つ。「打力ある相手に慎重になりすぎた。出来は100点満点の50点」
○小池(前) 三回に左越え2点本塁打。「変化球を狙って右方向を意識していたら、甘い直球に体が反応した。気持ちよかったです」