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カップ麺ショッピングガイド

”そこ”から見降ろす地球はとっても魅力的で
”その場所”から「わたし」は願ったんだ。
ラーメン食べてみたい。ブランコで遊んでみたい。ゲームしてみたい。パチンコしてみたい。絵を描いてみたい。綺麗な海を見てみたい。歌を歌ってみたい。ハンバーガー、食べてみたい。ディズニーランドに行ってみたい。桜を見てみたい。ゴロゴロ日向ぼっこしてみたい。絶景を見てみたい。友達とおしゃべりしてみたい。口笛吹いてみたい。髪を染めてみたい。スカート履いてみたい。
地球で体験してみたいたくさんのこと。
忘れないように全部を
魂に記憶して。
そのトキに刻まれた記憶が「わたし」に話しかけてくる。
スカート履きたいよ。ラーメン食べたいよ。散歩に行きたいよ。絵を描いてみたいよ。
それは地球で体験してみたかったリストの数々
ただね、願いはいつだって「私」に却下されてしまう。

スカートなんて似合わないでしょ。ラーメンなんて身体に悪いでしょ。散歩なんて時間の無駄でしょ。絵の才能なんてないでしょ。
「わたし」が地球で体験してみたかったこと。なのに願いを叶えてくれるはずの「私」はいつだって「わたし」に対して否定的だ。

積もり積もった「わたし」に不満が募る。 
それは「私」へのいつもなにかが幸せじゃない、満たされない、という感覚へと変換される。

「私」がいつも幸せを感じれないのは
「わたし」の願いをいつも「私」が否定し却下してしまうからだ。

なぜだかわからないけどこっちに来て急にだるまに絵付けしたくなり
そのあとなぜかキャンバスに絵を描きたくなり、画材を買い揃え絵を描きました。
33年生きてきて学生時代の授業以外で絵を描いたことは初めてで

そもそも描きたいなんて思ったのも人生初の話。
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絵を描いたって何にもならないし無駄なことだし意味もないし上手くないし才能ないし
なにかするなら”なにか”に繋がることじゃなきゃ人生は生産的に効率的に。
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この生き方からはだいぶ前にドロップアウトした身ですので
上手くなくても才能なくても無駄で意味がなくてもなんにもならなくても
”絵を描いてみたい”私がやることは「わたし」の願いを叶えてあげることだけ。

すると
「わたし」が喜び「わたし」が満たされ

それはすなわち

「私」にとって至福を感じることとなる。
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タクシー乗ってホテルに着く直前に急に「画材屋に行こう!」と思い立ち行き先を変え、yahooで猛烈に検索して見つけたお店へ
なのに
降りたは良いけど場所がわからなくなり
迷子になって

道で絵を売ってた黒人さんに
「paints want buy」
意味不明の単語並べて話しかけてみたら
自分のお気に入りの画材屋さんがあるから。って、わざわざそこまで案内してくれて

御礼をしようとしたらそんなの要らないよって素敵な笑顔で去ってった。

あー、世界はいつだって優しいなー。

そんなことを感じれる幸せ。

さっきまでホテルに帰るはずだったのに急に行き先を変えどこに行くのかなにをしに行くのかも言わず
それをなんにも言わずに面白がって付いて来てくれる友人がいる。
ありがたいなぁ、と感謝が湧き出る。
喜びと幸せと感謝と。

急に湧き出た「わたし」の願いを叶えるために動いてみたら
今日1日ほんの数時間だけでも
「私」はたくさんのものを受け取った。
毎日毎日こんな風に生きてるから満たされて満たされてどんどん心が豊かになっていく。
常識あるオトナ達からは「無駄だ。意味ない。もったいない。非効率だ。計画的に考えろ」と野次されそうなことばっかりだけど。

で、結局一緒に行った玲桜ちゃんもキャンバスに文字書いて遊んでた。
私は字だけのがいーなー。って彼女が言ったのでうん、私もそう思う笑。と答えときましたww
ただただ体験と経験をしたくて”イノチ”を宿し
”今ココ”に存在してる私たち。

今、

仕事もお金も時間も年齢も経験も肩書きも社会すらも
これら全ての概念がこの世から消えて

なんでも出来るしなにをして遊んでもいい
ずーっと砂遊びでもずーっと昼寝してるでもカップ麺食べながらDVD見るでも
ほんと、好きに自由になんでもいい。

もしそんな世界になったならその時あなたは一体”なに”をしたい?
認められなきゃもないお金稼がなきゃもない年齢があって出来ないもない
もしもそんな世界だったらなら。
余計な枠を外して自分に質問を投げたトキ、

か細く聞こえてくるだろう”これ、やってみたい”が
長らく押さえつけてたあなたの”真の願いたち”であり
”ここ”に来る前にあなたが地球で体験してみたいと思った大切な魂の記憶そのもの
魂とは神と呼ばれる”それそのもの”です。

だからね
どうぞ丁寧に1つずつ神さまの願いを叶えてあげていってください。

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 エレベータの中にカップ麺の香りがたちこめました。おしゃれな格好をした女性が2人同乗しています。私はフタの上に手を置いて隙間をなくそうとするのですがあまり効果はありません。女性たちは何かを言うわけではありませんでしたが、はっきり言えば迷惑だったかもしれません。でも、私にはこのカップ麺を食べられることがものすごく「幸せ」に思えていました。  10月13日から現在の仕事に入りました。初めの3日間は電車で家に帰ることができました。しかし、その後生活はめちゃくちゃになりました。やっても、やっても仕事が終わらない。次から次へと仕事が舞い込み、家に帰る時間がなくなりました。明け方に体力の限界を迎えてパソコンのキーボードに手を置いたまま、気を失っている。作業をしている部屋に掃除のおばさんが入ってきて目が覚めます。「寝ていたのか」 横を見ると一緒に仕事をしている仲間も眠っています。そのまま仕事に入ります。 ここまで悲惨な仕事も数年ぶりです。今後もこれ以上ひどい仕事はないかもしれません。ひょっとしたら、今 とても貴重な経験をしているのかもしれません。不思議なことですが、こんな生活でもある程度の規則性が生まれると人間はすぐに順応できます。一日3時間ほどの睡眠で私は4日間持ちました。1週間のうちに4日仕事場から出られないってどうなんでしょうね。「働き方改革」とか立派な言葉が聞こえてきていますが、私のところでは無縁のようです。「まぁ、いいか」  10月の月末、深夜になっても外がやけに騒々しいです。車のクラクションが鳴り響き、女性のカン高い声がたまに聞こえてきました。地響きのような振動が部屋にまで届いてきます。「ハロウィン」でした。明るい時間帯にコンビニにお弁当を買いに行った時は歩く人は、ほとんどが妙な格好をしていました。私はもちろん普通の格好です。逆に目立っていました。  コンビニでカップ麺にお湯を入れれば仕事場に着く頃にはちょうど食べられます。ずっと、毎日毎日弁当を買って食べていましたが、さすがに飽きました。スープのようなものがあるだけで食事に大きな変化が出ることに気がつきました。「うまい!」「身体が温まる」「カップ麺はこんなにおいしかったのか!」「なんて幸せなんだ!」お腹一杯になると眠くなりますね・・寝るな! 働け!    ハードな仕事の時は些細なことが「幸せ」に感じたりします。と言うことはですよ、自分が幸せを感じたいと思ったら自分を追い込めばいいということになりますね。とにかく、仕事をしまくる。 やたら勉強しまくる。 眠らない。 まともな食事をしない。「そうか、日常から逸脱して普通の生活をしなければ幸せを感じられる可能性が増えるのですね」         (それもどうかと思いますけど・・)  いつのまにか11月になっていました。11月3日の早朝4時頃です。自販機でアイスティを買って、ふっと外を見るとちょっとしたきれいな景色が眼に飛び込んできました。   「うわーっ、クリスマスツリーだ!」きっと、深夜から作り始めていたのですね。設置はもう少しで完成のようです。   明日、ここを通る人たちは驚くことでしょう。いつのまにか、巨大なクリスマスツリーが出現したのですからね。ひょっとしたら、この場所から新しい「幸せ」が生み出されるかもしれません。はずみで結婚するカップルが出るかもしれません。想像を越えることが起きるのが現実なのです。  少し仕事が楽になり、自由になる時間がとれるようになりました。友だちがボウリングに誘ってくれました。  急な話だったので自分のボウリングシューズもマイボールも持たずにボウリング場に行きました。約4週間ぶりのボウリングでした。    ヘロヘロに疲れている状態でボウリングをやるとこんな結果になりますよ。 1ゲームの第1投、ガータでした。  私の場合、コレよくあります!靴がよくないのか、ボールに問題があるのか、いちばん良くないのは私自身なのでしょうが気合を入れてボールを投げても、ストライクにならないし、スペアもとれないし、散々な結果でした。 今までで最低の結果です。  3ゲームやって1回も100を越えられませんでした。悔しさを通り越して、可笑しくなり笑いました。  誘ってくれた人は私よりも上手な人です。プロからも教わったりしているのですが、2人とも1回も100を越えられませんでした。こういう調子の悪さって伝染するのでしょうか。ただ、私のことを心配してくれる友だちがいることに「幸せ」を感じました。「スコアなんてどうでもいいよ。 楽しかったろ? 気分転換になったろ?」つくづく、私は「幸せもの」だと思います。    そして、私は最大の「幸せ」を手にします。11月11日、ブログ仲間からコメントが入りました。私が毎日のように「いいね!」を押しに行っているブログのユーザーさまです。「私がブログを更新しないのは寂しい。 更新を楽しみに待っている人たちがいる。」としたためられていました。ブログを通しての関係でここまで温かいコメントをいただけることは本当に「幸せ」なことだと思います。 ありがとうございます。  本当にありがとうございます。(ルゥちゃんは本当はルイちゃんなのですね?  可愛い子なんだろうなと思っていましたが、予想をはるかに超える可愛さでした!)                                   (ウッちゃんに柿をプレゼントしますね!)  ずっと仕事に追われて、まともに自分の時間がとれないまま日々が過ぎていきました。今回の仕事を引き受ける決断をしたのは自分自身です。 受けたらえらいことになる予感はありましたが、私は受けました。 同時に責任も生まれます。どんなことがあっても仕上げなければなりません。 11月18日か19日になればすべてが終わり私は解放され自由を手に入れられるはずです。  いくつかの「幸せ」を握り締めながら、もう少しがんばります。    最後まで読んでいただき、ありがとうございました。